「使いにくいカメラ」はなぜ愛されるのか──Ricoh GR 30周年に考えるUXの逆説

最近、コンパクトデジタルカメラが、不思議な売れ方をしているのをご存じでしょうか。

Fujifilm X100VIは、2024年の発売以来ずっと品薄が続いています。Ricoh GR IVの最新作、しかも白黒しか撮れない「GR IV Monochrome」が、2026年年初に発表され、2月に約28万円(想定価格)で発売されました。Ricoh GRシリーズは、今年2026年10月で30周年を迎えます。それに先立つこの春、新しいロゴと共に掲げられたメッセージが “Forever a Snapshooter” でした。

スマホでいくらでも高画質な写真が撮れる時代に、です。

しかも、これらのカメラに共通している特徴を並べてみると、なかなか強烈です。

  • ズームレンズがついていない(単焦点)
  • 背面液晶が動かない機種が多い
  • メニュー階層が深く、ダイヤルの組み合わせを覚えないと使えない
  • AFは速いが、マニュアル操作前提の設計が随所にある

機能リストで比較すれば、最新スマートフォンの方が「便利」です。それなのに、ぼくたちは、わざわざ「不便なカメラ」を選び、品薄の中で何ヶ月も待ってまで手にしようとしている。

ここにはちょっと面白い、UXの逆説があります。


「使いやすい=いいUX」ではない

UXやユーザビリティの話をすると、しばしば「迷わない」「すぐ使える」「タップ数が少ない」といった話に収束しがちです。たしかにこれらは重要です。けれども、それは話の半分でしかありません。

ユーザビリティの国際規格であるISO 9241-11は、ユーザビリティを「特定のユーザーが、特定の利用状況で、特定の目的を達成する効果・効率・満足度の程度」と定義しています。

ポイントは三つ。効果(やりたいことができたか)、効率(少ない労力で済んだか)、そして満足度(その体験は気持ちよかったか)。

スマホのカメラは、効果と効率では圧倒的に強い。けれど、満足度という三つ目の柱を一段深く掘ると、別の景色が見えてきます。

X100VIのダイヤルをカチカチと回しながら絞りとシャッター速度を決める。GR IV Monochromeで、わざわざ色の情報を捨てて街角を切り取る。「不便さ」が、撮影という行為そのものの満足度を引き上げているのです。


「ぼくが撮った」を返してくれる道具

ここで、ぼくが好きなフレームに意味のイノベーション(ロベルト・ベルガンティ)があります。

製品の競争には大きく二つの方向があります。ひとつは機能的価値の改善——もっと高解像度、もっと高速、もっと低価格。もうひとつが意味的価値の刷新——「この製品はユーザーにとって、そもそも何のためのものなのか」を問い直すこと。

機能的価値の世界では、スマホのカメラの圧勝です。画素数、AI処理、シェアの速さ、容量。どれを取っても、専用カメラはもう敵いません。

けれど、意味的価値の側にずらしてみると風景が変わります。

スマホで撮った写真」と「自分のカメラで撮った写真」は、出来上がったJPEGのピクセル品質ではほぼ区別がつかないかもしれない。それでもぼくたちは、後者のほうに「自分が撮った」という感覚を強く感じます。

ダイヤルを回し、ファインダーを覗き、画角を一歩動いて整える。その一連の「手間」が、写真を自分の作品にしてくれる。スマホは「いい写真を出してくれる装置」、専用カメラは「自分が撮るための装置」。同じ画像生成行為でも、ユーザーの中での意味がまったく違うのです。

Ricohの “Forever a Snapshooter”(永遠のスナップ撮り手)というメッセージは、まさにこの意味的価値の話だとぼくには見えます。「ぼくたちは便利な画像生成装置をつくっているのではなく、あなたを撮影者にする道具をつくっている」と。


「不便」は設計から消すものではなく、設計するもの

イメージング技術に関わっている方なら、「もっと便利に、もっと自動的に、もっと迷わせないように」とプロダクトを磨くのが当たり前の作法かもしれません。ぼくも基本はそれに賛成です。

ただ、HCDの現場で何度も実感するのは、「消すべき不便」と「残すべき不便」がはっきり違う、ということです。

  • 消すべき不便: 目的達成を邪魔するもの。意味のない設定階層、わかりにくいエラー、不要な確認ダイアログ。
  • 残すべき不便: ユーザーの「関与感」「習熟」「自分ごと化」を生むもの。ダイヤル操作、マニュアル設定、あえて単機能であること。

GRシリーズが30年売れ続け、X100VIが品薄になり、白黒専用機が成立してしまうのは、後者の「残すべき不便」を、メーカーが意図して残しているからです。これは偶然の生き残りではなく、設計判断だとぼくは見ます。


あなたへの問い

あなたが今、関わっているプロダクトやサービスを、ちょっと思い浮かべてみてください。

その中でまだ残しているけれど、見直されかけている「不便」はありませんか?「次のバージョンでこのステップを自動化しよう」「この設定はデフォルト固定でいい」と話題に上がっている部分です。

そのうちのいくつかは、たぶん消した方がユーザーは幸せになります。けれど、もしかすると、そのうちのひとつは——消した瞬間に、ユーザーが「自分ごと」として関われなくなってしまう不便かもしれません。

「便利にする」のは、わりと誰でもできます。それより難しくて、たぶん業界の次の差別化軸になるのは、「どの不便を意図して残すか」を言葉にできることだと、ぼくは思っています。

便利だから愛される、のではない。愛されているから、多少の不便は残っていてもいい——むしろ、不便ごと愛される。30年売れ続けるGRが教えてくれるのは、たぶんそういうことです。

※ 本記事はぼく個人の見解であり、所属学会・組織の公式見解ではありません。

「「使いにくいカメラ」はなぜ愛されるのか──Ricoh GR 30周年に考えるUXの逆説」への2件のフィードバック

  1. 「使い手が作り手の意図を察する瞬間」というのは,道具を通じて設計者と気持ちが通じ合ったと感じられて嬉しいですよね.

    返信
    • 確かにそういうことはありますよね。
      特にGRシリーズのように一定の評価がある中で、敢えてモノクロームに絞ったとなると、色々と意図を考えますようね。

      返信

コメントする

CAPTCHA